白金酒造 酒販店等「姶良」皮むき

2022年12月07日

 【鹿児島】白金酒造(本格芋焼酎「白金乃露〈しらかねのつゆ〉」等醸造元=姶良市、竹之内晶子社長)で11月23・27日、芋焼酎「姶良(あいら)」に使う芋の皮むきを行うため、同品取扱い酒販店主らが集った。3年ぶり。造り手と売り手の熱い交流の再開だ。

 「姶良」は同社製造場の石蔵(姶良市)で、手造り麹・甕仕込み・木樽蒸留で造られる芋焼酎。平成2年、福岡県北九州市の酒販店グループの特注で発売されたが、皮むきに人手がかかり製造がとん挫しかかったのを翌年、取扱い酒販店が行って以来つづいている。

 現在の取扱い酒販店は九州所在メイン25店で、今年の皮むきには2日計約40人が参加した。コロナ禍以前、2019年までは全店参加で実施されてきたが、現下にあっては希望者のみとスタイルを変えた。同社代表取締役専務・川田庸平さんによると再開を望む声が強く、あらためて焼酎造りを続けることが出来る喜び、確かな支えを実感することにもなったようだ。酒販店関係者だけではなく、その納入先飲食店、さらにその店のお客さんまでもが遠路蔵元を訪れ、一押し愛飲焼酎の造りにかかわる濃密な時間を共有した。

 1仕込みに必要な黄金千貫(コガネセンガン)は1050kg。欠減を考慮し少し多めの芋の皮をピーラーでむいていく。皆が一つのテントの下で作業を進めれば、互いの近況についての話にも花が咲く。同業なら厳しい経営環境も我が事のように分かり合える。蔵元と対面し直接対話する貴重な時ともなる。情でつながる。

 約1tの芋から、25度・一升瓶換算で約500本の芋焼酎が出来る。今期「姶良」の仕込みは10本ほど行う計画だ。 

 北九州市の酒販店主は、引退した親に託された生業を、今は妻と共に営み揃って参加した。学生時代から父に連れられ、さらに酒屋に入ってからは当然毎年参加の馴染みの行事。造り手の想いに触れ商いの糧としてきた。「姶良」の販売はコロナ禍以降、飲食店でのキープなどでは苦戦しているが、各家庭ではファン定番焼酎として晩酌愛飲が衰えることはない。「ここまで知っている、かかわることで語ることができる」。

 熊本県水俣市の酒販店主の妻と従業員女性。販売店を限定する〝姶良の販売システム〟で、日々の商いが報われている実感が強い。さらに前向きにと始めた角打ちでも「自分たちがむいて仕込んだ焼酎ですよ」と話せば、飲んでみたいとなる。

 福岡市内の飲食店主は家族とお客さんと一緒に、夜のうち福岡を発ち蔵元を目指した。「来たくてしょうがなかった」と念願叶った様子。「かかわったものなら自信をもってオススメできる。伝えるレベルが違ってくる」とも話した。

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 白金酒造の創業は明治2年(1869)。初代・川田和助氏が「川田醸造店」として事業を興した。和助どんの焼酎は〝和助焼酎〟の名で一世を風靡。西郷隆盛も蔵を訪れ、西南戦争の際には蔵の焼酎をすべて買い上げたという逸話がある。

 大正元年「白金乃露」が発売されると、焼酎の代名詞となるほど人気を博し、とりわけ鹿児島市の繁華街天文館では「白金乃露のある店は繁盛する」とまで言われた。

 昭和61年に手造り焼酎蔵「石蔵」を再興した。石蔵では黒瀬杜氏伝承の技が今に引き継がれている。平成13年「国・登録有形文化財」指定。

 現在、製造場は石蔵がある重富工場(姶良市脇元)と、平成16年新設の平松工場(同市平松)が稼働。平松工場は重富工場に比べ大きな造りだが原料芋に徹底的に手をかける〝磨き芋仕込み〟は同じ。機械任せではない、人が醸す焼酎造りが行われている。

 薩摩焼酎文化・体験型観光施設「石蔵ミュージアム」では、明治時代から変わらない焼酎造りの見学や、歴史を学ぶことができる。併設のセレクトショップでは厳選焼酎はもとより、地元食材を中心にこだわりの加工食品、オリジナルソフトクリーム、自家製焼き芋などが販売されている。

 令和3酒造年度「鹿児島県本格焼酎鑑評会」(鹿児島県酒造組合主催)で、同社代表銘柄レギュラー酒「白金乃露」は杜氏代表受賞を果たしている。