国分 安定成長へ提案新た

2008年05月27日

  【東京】国分は5月14日、都内のホテルで「焼酎展示唎酒会」を開催した。ブーム一過、値上げ後の需要動向も注目される状況下、今後の焼酎市場の安定成長と取扱い店の販売増につなげるために企画したもの。九州・沖縄の本格焼酎・泡盛メーカー62社をはじめ、本州・四国や海外のメーカー26社を含む88社が出展し、甲類焼酎の新たな価値提案を目指す特設コーナーも設けた。いまだ需要をけん引する芋焼酎をテーマとした講演(“庶民が造りあげた芋焼酎”白金酒造<鹿児島県姶良町>代表取締役会長・竹之内雄作氏)も催し、直火燗付けの芋焼酎を体感する機会もつくった。

 当日の来場者は、同社得意先流通(酒販店、量販店、百貨店、コンビニエンスストア、卸)や料飲店関係者など1070人。出展ブースではメーカーが自社商品をアピール。リキュール商品の紹介も目立った。来場者は唎酒を繰り返しての酒質の把握はもちろん、消費者の関心を引くラベルデザインかどうかなど、商材としての価値を見極めようとブースをめぐった。ある出展メーカーは、「新しい価値を持った商品を探しに来ている」と語り、商品開発へ刺激を受けた様子だった。

 特設コーナーのテーマは、“宝焼酎「純」品質宣言”。宝酒造が「樽貯蔵熟成酒ならではの飲み方提案」(同社)を行った。11種類の樽貯蔵熟成酒を13%使用した「純」の味わいをストレートに伝えるため、シャーベット状態にした提案などを試みた。

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 当日の会見には、同社酒類統括部の小笠原優一部長、中川正則課長が臨席。焼酎市場の現況については、「乙類は3月に業界トップブランドの麦焼酎が値上げとなり、昨年来の芋焼酎に続く値上げラッシュの環境下で需要動向が注目されるが、度重なる増税を乗り越えブームで膨らんだ需要が本物かどうかを占う新たな試金石ともいえる。甲類は昨年末から実施した原材料表示の自主基準にそった新たなラベルへの切り替えが順調に進み、新たな世界を訴求していく動きがじわじわと拡大しつつある」と分析。

 直近の動向として、同社の今年1-4月累計販売量推移(前年同期比%)を次の通り示した。
 焼酎全体では101・6%。

 連続式蒸留焼酎は99・5%(国産96・8%、輸入100・3%)。混和焼酎(甲乙混和)114・8%。
 単式蒸留焼酎は、全体で105・3%。原料別では、▽泡盛=90・4%▽芋=113・4%▽米=101%▽麦=103%▽そば=100・8%▽黒糖=94・4%▽混和焼酎(乙甲混和)=98・6%▽その他=90・3%。

 今後の需要については、「値上げの影響は、全くないとは言い切れない」との答弁。「特に米、麦焼酎は値上げ仮需分はほぼ解消し、実需そのものは頂点に達している」。

 芋焼酎がけん引する状況に変わりはなく、その要因としては、「鹿児島と宮崎の大手の販売が、非常に順調に推移している」ことを挙げた。「特に東日本の市場ではまだまだ広がる。焼酎全体ではそろそろ限界に来ているが、芋だけは天井ではない」との見解も示した。

 「これまでの品揃えから、どう育て需要振興していくのかが、飲み方飲ませ方の提案を含め、ポイントになる」。甲乙混和焼酎が本格焼酎を「侵食する可能性」を指摘したが、値上げによって価格差が大きくなったことの影響については不透明とした。製造においては、あらためて消費者の信頼を裏切らない、安心安全の徹底を求めた。

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 講演のテーマは“庶民が造りあげた芋焼酎”。講師は、白金酒造(鹿児島県姶良町)代表取締役会長・竹之内雄作氏が務め、昔ながらの直火燗付けと、その場でお湯割りしたものの比較試飲も行われた。

 蔵元は明治2年の創業。鹿児島県最古の歴史を有し、今年の熊本国税局主催・酒類鑑評会本格焼酎の部で、鹿児島県受賞製造場代表の栄誉に輝いている。

 話は、日本への焼酎伝来や、甘藷(サツマイモ)の伝播について説明ののち、「薩摩藩の事情が焼酎をはぐくみ、庶民の飲み物として約300年続いてきた」との本題へ。

 2万6000年前に大爆発で“姶良カルデラ”が生まれたが、その時打ち上げられた土砂が、“白砂=シラス”土壌を形成。米の栽培には向かず、作ったとしても他地の半分も取れない。
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 薩摩藩は加賀100万石に次ぐ、77万石の大藩。税徴収は“8公2民”。税=地租にあえぐ民に対し、サツマイモを地租外とする政策が取られ、シラス台地でのイモ栽培が拡大した。しかし、イモは掘り上げるとバクテリアに侵され、酸化も早い。傷みやすい作物ゆえ、余剰イモを何とかしなければならない。焼酎製造の技術はすでに伝わっており、ヒエやアワで殺菌用アルコールをつくっていた。その技術をイモに応用すれば…。「まさに、ぴたっと、はまった」。

 以来、庶民が部落で造り飲んだ、「本当の地産地消だった」。明治30年代には鹿児島県下で3700場に製造免許が下付されていた。

 「(鹿児島でも)昭和20年代まで、(富裕層の)分限者(ぶげんしゃ)どんは清酒を飲み、(貧層の)小作人どんが芋焼酎を飲んだ」。大戦下の物資統制で芋焼酎もぜいたく品となり、芋焼酎が定着したのは戦後。それでも、昭和30年代までは清酒だけを出す居酒屋があった。

 直火燗の付け方は、少人数の時は“黒茶家”(黒じょか)、大人数の時は羽釜(はがま)。羽釜は、周囲に鍔(つば=羽)がついた釜で、調理用具の一つ。蒸籠(せいろ)を上に据えて、赤飯を炊いたり、団子や饅頭などをつくる時にも使う。法事など大勢が集い、燗付けが間にあわない。そんな時、羽釜が重宝する。

 焼酎と水を合わせたものを羽釜に入れて、当日、竹之内氏自らが燗付けした。ゆっくりとろとろと、沸かさないよう慎重に、温めていく。同氏は、蒸留時の末垂れをカットせずに、初・本・末垂れすべて込みで芋焼酎の味わいがあり、いちばん味を感じる40~41度、人肌に燗付けして味わいが際立つという信条も語った。「1杯目は少し辛く感じる。これを甘い肴で楽しむ。2杯3杯と飲み進むうちに、ほのかな芋の甘味が引き立ってくるのが、良い焼酎」との持論も展開した。

 来場者が、羽釜で燗付けされた焼酎を味わう。その場で湯割りされた焼酎と比べ、そのやわらかさに一様に驚く。神妙な面持ちでちびちびと、比較試飲を繰り返す、その姿へ向け投げかけた竹之内氏の言葉が捌(さば)けていた。「芋焼酎は旨いかどうか。われわれは3口で、飲み込む」。