佐賀県内の水害被災 同業蔵元も復旧に加勢

2019年09月11日

 【佐賀】日本酒蔵2社の今酒造期仕込みが遅れることになりそうだ。8月27~28日「線状降水帯」豪雨に見舞われた佐賀県の日本酒蔵を9月2日、現地に訪ねた。高速道「武雄北方」~「嬉野」間は災害通行止め。蔵元関係者には激甚災害への対応で憔悴の感はあるものの、前を向く力を取り戻している。県境を越えた同業蔵元の復旧への加勢も事態を改善している。


 10年ほど前、約20年間の休造を経て仕込みを再開し復活した「東鶴(あずまつる)」醸造元、東鶴酒造(多久市東多久町別府3625)は蔵裏手の河川氾濫で製造場内全てが50㎝ほどの浸水に見舞われた。釜場も槽場(ふなば)も、さらに別棟の麹室も。

 家業を再興した現社長・杜氏の野中保斉さん(39)は疲れ切った様子だった。27日には命の危険から避難を余儀なくされ、蔵の様子を見ることは叶わなかった。翌28日、被災の実相に接した。

 それから週末土日を迎えるが、同蔵復旧へと駆けつけた蔵元は佐賀県内にとどまらず、福岡・熊本・大分、遠くは長崎県平戸市へと及んだ。その「有難さ」に感謝は尽きないが、麹室のことが気がかりだ。佐賀県鹿島市の蔵元が県外の麹室施工専門業者へ相談に乗るよう打診し、業者が蔵元に来ることが決まった。地元の大工が我流でつくった麹室が、これを機により災害に遭いにくく、さらに酒質改善にもつながる良いものになれば、水害は生きる。

 幸い麹室棟は災害保険に入っているとのこと。が、費用や工期のメドは何も見えない。商品出荷も出来ないのが現状だ。

 造り手の人柄に惹かれるファンもいて引き合いの強い銘柄へと育ってきた「東鶴」。全国の取扱い酒販店、さらにファン消費者の間で復興応援の販促愛飲の動きが広がっている。

 同業蔵元からも県内での新たな日本酒蔵元誕生と期待歓迎されていた、光栄菊酒造(小城市三日月町織島2602番地3)も引渡し前ぴかぴかの麹室が浸水被害に遭った。代表取締役の日下智さん、杜氏の山本克明さんが復旧の作業に追われていた。5年越しの日本酒製造事業の実現。水害翌日の29日、同所での清酒製造が許される免許が下付された。喜びとない交ぜで製造計画は変更を余儀なくされるが、今酒造期間での仕込み開始は確実だ。

 最後発ゆえ地道に日本酒造りに向き合っていきたいという。日下代表の山本杜氏への信頼は厚く、新地での造りへ期待感は膨らむ。杜氏は「天野酒(あまのさけ)」(西條=大阪府河内長野市)や「菊鷹(きくたか)」(藤市酒造=愛知県稲沢市)で名を馳せた腕の持ち主だけに、新風を起こそう。

 麹室の施工業者は、鹿島市の蔵元が東鶴酒造へ相談を薦めたのと同じだ。

 創業元禄元(1688)年で、佐賀県最古の蔵元。窓乃梅酒造(佐賀市久保田町大字新田1640・1833)。「本当に多くの方々にお見舞いや応援、励ましの言葉をいただき、仕込みを前により良いものを造ることで恩返しをしなければならないと思っている」と語るのは同社社長で、佐賀県酒造組合会長の古賀釀治さん。自身の酒蔵で大吟醸酒など特別な麹室は被害を免れたものの、一般酒用の麹室に浸水があった。それでも今回は、泥水ではなく清水で、洗浄と殺菌で使用に支障はないという。

 小城市の2蔵も大丈夫だ。

 「高砂」小柳酒造(小城市小城町903、小栁平一郎社長)は創業江戸文化年間(1804-1817年)。蔵内に川が通り、製造場への被害よりも母屋への浸水被害の方が大きかった。

 その川が決壊氾濫すれば被害は尋常ではなかっただろう。蛍の名所、祇園川のほとりに佇む天山酒造(小城市小城町岩蔵1520、七田謙介社長)には明治蔵・大正蔵・昭和蔵とあり、国登録有形文化財に指定されているが被害は、山手からの流水で軽微。計画していた9月21日「秋の蔵開き」を予定通り開催する。

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 小売流通被害については支店網を配し県内全域をカバーする全酒類・食品卸「佐賀酒類販売」(本社・佐賀市、矢野善紀社長)が全貌を把握している。

 「ダイレックス北方店」「モリナガ牛津店」「ドラモリ武雄バイパス店」など武雄・牛津エリアの量販店が「店内全域水没」。浸水は陳列棚下段半分にまで及んだ。鹿島エリアでは酒販店5店とAコープで150㎝~30㎝の浸水があった。伊万里エリアでは酒販店1店の倉庫が膝高まで浸水。佐賀市街地の酒販店でも店舗・倉庫に浸水したが10㎝程度にとどまった。百貨店「玉屋」地下一階フロアが腰高まで浸水。

 鳥栖・唐津エリアに被害はなかった。

 佐賀酒類販売の支店に被害は無く、得意先被害による受入れ不可能のケースがあった。