日本最西端の酒蔵「福田酒造」 蔵開きに2000人来場

2017年05月24日

 【長崎】「心で造り風が育てる」--。かつては捕鯨も生業とし海を駆けた造り酒屋。大海原にせり出すように日本最西端の酒蔵、福田酒造(福田詮社長、平戸市志々伎<しじき>町)は在る。稀有な風土を映す美酒と旨い魚が並び味わえる極地で5月13日「酒蔵開き」があった。蔵から道一本隔てた漁港では漁協主催の「おさかな祭り」があり遠方からのバスツアー客も。福田社長(65)はイベントなどを通じ蔵訪問いただけることが愛着を深めると感じている。天与の恵みが競演するコラボは17年目を迎え、約2000人の来場者で沸いた。

 長崎県北、北松浦半島の西にある平戸島。本州とは橋でつながる。この時期の蔵開きは珍しく、日本酒蔵では締めとなる。例年こどもの日を終え、翌日が母の日に開催。場内では鉢植えのカーネーションが販売され、鯉のぼりが泳ぐ。志々伎漁協おさかな祭りでは、ウチワエビやタイ、イカやイサキ、アワビやサザエなど活魚が浜値で販売され、その場で食す焼台も設けられた。ウチワエビは頭が団扇(うちわ)様のエビで独特な体形。その炊き込みごはんは名物だ。マグロの解体ショーや魚のつかみ取りもあり地域の高齢者や子らの笑顔でもあふれた。

 福田酒造は平戸藩の御用酒醸造蔵として元禄元(1688)年に創業。かつては網元でもあり大漁旗や捕鯨に使った銛(もり)などが残されている。現杜氏は西田隆昭さん(54)。日本酒では「福鶴」「長﨑美人」「福田」、本格焼酎では「じゃがたらお春」(じゃがいも焼酎)、「かぴたん」(貯蔵熟成麦焼酎)などを醸す。物語を映す酒名。じゃがたらお春は長崎に暮らし後に国外へ追放された娘、かぴたんは船長キャプテンから来ている。

 「福田」は蔵元後継者が立ち上げたブランド。社長の子息で兄弟、竜也さん(34)と信治さん(30)が社業に就き造りや営業で奮闘している。親子揃って東京農大卒。イベントでブースに立ち直接魅力発信する機会も増えてきた。仕込みに使う山田錦とレイホウの地元栽培にも取り組んでいる。信治さんはみりん醸造蔵で修業。その縁もあり前酒造期から「本みりん福鶴」を造っている。使用もち米は100%平戸産。みりん粕は発酵天然の甘味料で“こぼれ梅”と呼ばれる。

 蔵開きは酒の試飲即売でも賑わった。大吟醸など多彩な市販酒を存分に試せる。「長﨑美人」大吟醸・本生袋搾りや杉樽焼酎など同日だけの限定酒も。初の試み“甘酒バナナスムージー”も人気を集めた。商品購入者には同社が独自ノウハウで焼酎粕を資源化している発酵培養土「宝島」を進呈した。日本酒を醸す元禄蔵では仕込米を蒸す甑(こしき)を使い103度の蒸気で蒸し上げる蒸しパンが販売された。もちまきもあり祝祭を彩った。

 古い酒造道具や酒器を展示する「福鶴・じゃがたらお春博物館」も無料開放された。会所部屋(かいしょべや=蔵人の休憩室)も再現。精巧に作られた杜氏が囲炉裏の前で寛ぎ今にも語り出しそうだ。来場者のなかには福岡市の飲食店「酒肆ちろり」の小吉唯幸さん(48)・あすよさん(49)の姿も。今では日本酒メインの店が増えたが、同店は10年前から日本酒の魅力や愉しさを伝えファンを広げてきた。日本酒取扱い約20種のうち半分は九州のもの、なかでも福田酒造は今一押しの蔵元の一つだという。「蔵を訪ねることで愛着がわくし、目の前には海があってとか、お客さんへのお勧めもしやすくなる」。自ら感じ得た言葉だから響くのだろう。博物館では見事な燗銅壷(かんどうこ)に興味が尽きなかった。

 同地は“本格焼酎北廻ルーツの里”でもある。創業をさかのぼる天文19(1550)年にはすでにポルトガル人が平戸に寄港し貿易が始まり、南蛮渡来の文化の一つ、焼酎の製造蒸留技術も同時期に伝わったとされる。場内にはそのことを示す碑がある。1991(平成3)年、日本酒造組合中央会が“本格焼酎探検隊”を派遣。「不老不死生命(いのち)の水の北廻ルーツの里」としてテレビ放映されたと刻む。

 独歩挑戦を重ねる蔵元。特産じゃがいもでの焼酎造り、博物館の建設、独自ノウハウでの焼酎粕資源化。酒蔵「音香成蔵(ねかせぐら)」の屋根に太陽光発電パネルを設置し年間消費電力を賄う。肝機能改善や免疫力増強に寄与するアラニンを多生産する酵母で仕込む日本酒も開発した。福田社長は東京農大「経営者賞」を受賞。自ら拓く気概で光を放ち続けている。