村井勉氏が死去 アサヒビール再建に尽力

2008年11月12日

 アサヒビールの元会長・社長の村井勉(むらい・つとむ)氏が10月30日午後9時18分、肺炎のため大阪市北区の住友病院で死去した。90歳。後日、お別れの会を開催するが、日時・場所などは未定。

 同氏は、1982年にアサヒビール社長に就任。当時、同社は下落傾向にあり、村井氏は旧東洋工業(現マツダ)を立て直した実績を持っていることから、「アサヒ再建の切り札」として注目を集めた。

 社長就任後、村井氏は「経営理念」の策定に着手、3000人の従業員が心をひとつにする価値観をつくり、会社が進むべき方向を指し示すべく、実践的で具体的な経営理念を策定した。また、抜本的な社内改革を進めるためにCIを立案するとともに、CI導入によるロゴマークの変更により、アサヒビールの新しい“顔”を社外にアピールするとともに、社内の意識改革にもつなげた。

 さらに、新生アサヒビールにふさわしい商品を発売すべく、「コクとキレをあわせもつビール」の開発を指示し、“コクがあるのにキレがある”アサヒ生ビール「コク・キレ」を発売した。「百万人大試飲キャンペーン」や社員による「酒販店店頭試飲会」など大々的な販促により同商品は売り上げを拡大。同社は、同商品のヒットにより売り上げを回復するとともに、ヒット商品「スーパードライ」発売への基盤を築いた。

  【略歴】大正7年3月31日生まれ。昭和17年9月東京商科大学卒、同年10月(株)住友銀行入行、45年11月同行取締役、48年4月同行常務取締役、51年1月同行取締役、東洋工業(株)代表取締役副社長、55年1月東洋工業代表取締役副社長退任、住友銀行代表取締役専務取締役、56年6月同行代表取締役副頭取、57年1月アサヒビール(株)顧問、同年3月住友銀行代表取締役副頭取退任、アサヒビール代表取締役社長、61年3月代表取締役会長、62年4月西日本旅客鉄道(株)代表取締役会長、平成4年6月同社取締役相談役名誉会長、同年9月アサヒビール取締役相談役名誉会長、7年3月同社相談役名誉会長、11年1月相談役、同年6月西日本旅客鉄道顧問名誉会長、13年3月アサヒビール名誉顧問、15年6月西日本旅客鉄道顧問名誉会長退任、現在に至る。