【鹿児島】芋焼酎造りの匠(たくみ)に栄誉--。厚生労働省が卓越した技能者を表彰する「現代の名工」に、八千代伝酒造(八木栄寿社長、垂水市)の杜氏、吉行正己さん(よけ・まさみ=79)が選ばれた。本紙調べでは、焼酎造り杜氏としては昭和53年に熊本県・球磨焼酎関係者の受賞以来、30年ぶり。芋焼酎どころ・鹿児島県では初、杜氏輩出の地・同県南さつま市笠沙町黒瀬集落においても快挙となる。
「現代の名工」は、「卓越した技能を持ち、その道で第一人者と目されている技能者を表彰するもの」(厚労省)。昭和42年創設で、今年度は150人を表彰。11月9日、被表彰者名が発表され、翌日、東京の明治記念館で表彰式が行われた。
名工へは鹿児島県酒造組合(本坊喜一郎会長)が推薦。「製麹操作技能等の焼酎製造技能に卓越し、追麹の技術を考案するなど幾多の考案改善を行い、本格焼酎業界全体の振興に寄与している」(厚労省)ことが認められ、「後進技能者の指導・育成に尽力している」ことも評価された。
吉行さんは笠沙町黒瀬の出身。「集落全体の習わし」で昭和29年倉子(くらこ)になった。31年から杜氏。半世紀以上の焼酎造り人生で、後進の育成を一番大事なことだと考え、実践してきた人でもある。
現在、杜氏を務める八千代伝酒造㈱(旧・八木酒造(名))の猿ヶ城渓谷蒸溜所(垂水市新御堂鍋ヶ久保)は平成16年の秋、30年の時を経て焼酎造りを再開した復活蔵だ。同年10月16日仕込み開始の日、経験者はなく戸惑うばかりの倉子のなかに、吉行さんの姿があった。
自分の技を盗めといった性分ではなく、すべてを教える。6酒造期目を迎えた今、20代30代の若い倉子は焼酎造りの職人に育った。倉子には「体で会得する」よう諭す。氏の言う“ベロメーター”。醪(もろみ)を口に含み香りや味を感じ覚える。酒が語りかけて来るものを探る。吉行さんは24歳で倉子になる前、15の春から8年間は大工だった。師匠は厳しい人で、「おれに聞かず、材木(ざいぎ)に聞け」と突き放した。しかし、当時の修業が頑丈な体と精神をつくり、その後の仕事にくじけることはなかった。これまでに、「辞めようと思ったことも、辛いと思ったこともない」。「材木に聞け」との言葉は、「醪に聞け」という教えにも通じる。倉子は仕事に真摯に向き合う精神こそを、杜氏から学んでいる。
八千代伝酒造はもとより、県内銘醸蔵の新工場操業にかかわり、事業を軌道に乗せた。酒質向上に寄与し、それに伴う出荷増によって、事業発展の礎を築いた蔵も少なくない。熊本国税局酒類鑑評会、鹿児島県本格焼酎鑑評会での受賞歴多数。代表受賞4回の金字塔も打ち立てた。平成17年には優秀技能者・県知事表彰も受けた。
「甘さじゃなく、旨さ。キレが良く、また手が出る焼酎を造りたい。きれいなだけではダメ。お客さんを引きつけるものがなければ」。11月1日にはその姿がNHK「たべもの一直線」で紹介された。翌日は蔵に、「飲んでみたい」という問い合わせが殺到した。八木社長は、「杜氏は若い倉子たち、そして何も分からなかった私を一から支えてくれた」と振り返る。業界への感謝も大きい。努力によって焼酎市場を広げ、そのことで「復活のチャンスができた」。だから、今回のことが、若者が焼酎造りに興味をもつきっかけになったり、後進の励みになるなど、業界への恩返しにつながることを強く願う。
今の蔵は、12人程度で切り盛りする、すべて甕壷仕込みの小さな蔵。吉行杜氏の挑戦は続く。「ゼロからスタートした蔵で、自由奔放に小回りが利く。集大成といえる焼酎を造ってみたい。終点はない」。