【京都】酒類清澄剤「ニューみます玉渋、顆粒カキライト」などの柿渋製品を製造する㈱三桝嘉七商店(京都府木津川市、三桝嘉嗣社長)では、本年、柿渋原料である天王柿の増殖を福島県会津美里町で実施以来20周年を迎えた。
同社の位置する京都・山城地方(京都府南部)は古くから渋柿の産地として知られ、柿渋の製造が盛んに行われていた。先人が柿渋造りに適した渋味成分の多い渋柿へと品種改良を重ね、現在の渋味成分最高の天王柿が誕生した。天王柿は山城地方と京阪奈広陵地域にのみ栽培されている特有の品種であった。しかし、昭和60年代に京阪奈広陵地域に国家的事業である関西文化学術研究都市建設が始まり、天王柿の漸次減少のやむなきに至った。同社では将来の柿渋需要に応えるため、天王柿増殖のための新たな栽培地の選定を急いでいた。
一方、福島県旧会津高田町では、国の減反政策で休耕地となった山沿いの農地に将来を見据えた園芸作物の導入として、柿渋の原料である「天王柿」を奨励していた。このような背景のもと、同社の当時三桝武男社長(現会長)が協力、平成元年、この地に「会津高田町天王柿生産組合」が発足し、天王柿10町歩の植栽を行った。山城地方から気候、風土の異なる会津への移植は栽培初期には多くの困難があったが、研究と栽培努力により順調に生育し、低木栽培による安定した収穫が得られるようになった。
この度、初植から20周年を迎え、今後ますますの生産振興を祈念して10月1日に会津美里町農業体験学習農場に記念碑を建立。会津美里町町長、JA会津みどり組合長ら多くの関係者が出席して除幕式を行った。除幕式では、福田五郎天王柿生産組合長が「今後もさらなる増産に励んでいきたい」、三桝社長が「生産者の顔の見える柿渋造りを心掛けたい」と挨拶。ますます安定的な収穫が得られる樹齢となった天王柿栽培農園と従来の農園により、高品質の柿渋を安定して供給できる体制が整った。
三桝会長は「原料柿栽培から柿渋の蔵出しまで生産体制のより一層の向上と安定を図り、柿渋で『柿の文化』を継承し発展させたい」と語った。