【鹿児島】天世味酒販(前畑浩一代表、志布志市)は6月7日、霧島市のホテル京セラで「『侍士(さむらい)の会』発足10周年記念の集い」を開催した。減反政策下、また芋焼酎の麹米について語られることがなかった10年前に、白玉米というコメの復活に取り組み、そのコメを麹米に「侍士の門」という芋焼酎をつくり育(はぐく)んできた同志“蔵元と酒販店と生産農家”が一堂に集い、“真の絆を熱く結ぼう”と呼びかけ実現したもの。全国の取り扱い酒販店約80店(現取り扱い店約110店)をはじめ、蔵元や農家、行政関係者ら120人が参加し、取り組みの原点を共有し交流を深めた。
「喜びも苦しみも共に取り組んだ仲間が集まり、絆を深め、共に活きる道を探っていきたい」(前畑さん)。集いを企画した背景には、「全く先が読めない状況」への危機感があった。「焼酎ブーム終えんに、事故米事件の影響による風評や度重なるマイナス要因から起こっている買い控えや焼酎離れ」という閉そく感を打破するためには、「『どげんかせんといかん』という気合と意気込み、多くの知恵が必要だと考えた」。
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「侍士の門」のルーツは平成7年(1995年)、白玉(しらたま)の復活にかけた取り組みにまでさかのぼる。白玉米は1850年ごろ、すでに日向の国にあったものを、弥作という福岡の民間人が持ち帰ったとの記録があり、以来、九州全域で栽培され、酒米用の大粒上質米として評価された歴史がある。酒造に適していたものの、丈が高く、そうした栽培のリスクから昭和には姿を消したコメだった。
白玉米の栽培は品種選定、種もみの入手から始まり、減反政策のハードルを、地元財部町の役場、同町中谷地区の農家、農業改良普及員などの後ろ盾で乗り越えた。「侍士の門」は、太久保酒造(鹿児島県大崎町)が醸造を担うことで平成12年、誕生した。
白玉米の復活、そのコメを麹米とする芋焼酎づくりに奔走した前畑さんは曽於市で酒小売店を営み、当時から蔵元と取り扱い酒販店をつなぐ事務局を務めてきたが、受発注という卸の実務を伴う形で両者のパイプを強化することが必要だと判断し平成18年、全酒類卸売業免許を取得。翌年から新会社での事業を開始した。
現在は鹿児島県の焼酎蔵6蔵(太久保酒造、大石酒造、鹿児島酒造、中俣、黄金酒造、八木酒造)、白玉米で清酒を醸す福岡の1蔵(若波酒造)の企画開発商品を扱い、当日はすべての蔵が揃い商品を紹介する試飲会も催した。
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集いには池田孝・曽於市長も臨席。前畑氏をはじめ、農家・蔵元・行政関係者が登壇し“10年”を振り返り、今後の取り組みへの意欲を熱く語った。
前畑氏は周囲の支えに感謝を込め、「小さな一粒の夢から始まり、多くの人が感動した。私たちは運命共同体。これからも夢を持って取り組まねばならない」と話し、あらためて商品を育成する意識の共有と行動を求めた。
減反政策下、休耕が余儀なくされるなか、白玉米の栽培に臨んできた農家、白玉米栽培復活保存会会長の下川幸春さんは「平成9年に一人で栽培を始めたが、昨年は17人になった。長く米作りをしてきた82歳のおじいさんが作っても、倒れ収穫が大変なコメだが、勉強をしながら地域の皆で守っていきたい。保存会にとって侍士の会は一番大事な会」だと語り、米作りができる喜びを言葉に込めた。
太久保酒造・中山信一会長は、前畑さんとの出会いを思い返した。醸造依頼の際、「売るのはすべて自分に任せて、絶対に売り切る」との決意に触れた。「本物を造ろうと始まり、本物を売りたいというのがこの結集。今後も本物、安心安全な焼酎を造っていきたい」と話を結んだ。
当時、農家と行政の橋渡し役となった大隅地域振興局農林水産部農政普及課・吉田龍史さんは、「減反の、コメを作れない状況下で、焼酎用のコメを作ろうという、とんでもないプロデュースだった」と回想。しかし取り組みは、事故米事件で初めてコメに光が当たり関心が高まる、その10年も前から農商工が連携し行われたものだったとして、挑戦を称えた。