獺祭、桜井社長が熊本地産振興交流会で講演

2015年11月19日

 【熊本】「今年の仕込み本数は2000本の計画。酒造りの男性スタッフは90数名」――。驚きの製造現場をつぶさに語ったのは清酒「獺祭(だっさい)」醸造元・旭酒造(山口県岩国市)の桜井博志社長。熊本県南の農林水産物を活かし地域の活性化にまでつなげる“フードバレー”の実現を目指す「くまもと県南フードバレー推進協議会」(小野泰輔会長=熊本県副知事)が10月13日、八代市で開催したネットワーク促進交流会に招かれ“ピンチはチャンス!~山口の山奥の小さな酒蔵だからこそできたもの~”のテーマで講演した。挑戦に踏み切らせたのは逆境であり、業界の常識を突き抜けた発想と行動だった。

 協議会会員は農林水産業者をはじめ、関係団体や研究機関など多方面にわたる650人で構成されている。交流会には250人が参加。商品開発や販売促進などの事例発表があり、異業種交流会には県南地域の食材を使った料理、人吉・球磨地域の28蔵で造られる球磨焼酎(本格米焼酎)が提供された。

 自らの逆境や窮地をバネにしてほしいと企画されたのが講演だった。「純米大吟醸の販売量日本一、世界24の国と地域への輸出拡大を果たした、逆境をチャンスに変え成功した体験談」を力にしたいとの期待で会場は熱を帯びた。

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 旭酒造は江戸期1770年創業。桜井氏は1950年(昭和25年)生まれ。1973年、松山商科大学を卒業後、現・日本盛に入社。76年に旭酒造に入社するが、その後退社し79年、石材卸業の桜井商事を設立した。父の急逝で84年(昭和59年)旭酒造の社長に就いた。当時の代表銘柄は「旭富士」。蔵元の所在地は「山口県岩国市周東町獺越2167―4」。地名にある獺越(おそごえ)の1文字が「獺祭」の酒銘に使われている。

 本題に先立ち語った。「熊本は吟醸先進県で非常に感慨深いものがある。全国新酒鑑評会ではYK35、Y山田錦で、K熊本酵母で、35%精米歩合でないと金賞は獲れなかった。伝説ではなく、かなり信憑性のある話だった。だから熊本は日本酒造りの人にとっては聖なる地で、ここでお話させていただけることを心から光栄なことだと思っている」。

 蔵元紹介のDVDからは、獺(かわうそ)が居ただろう豊かな自然環境が伝わる。製造現場が映し出された。「昨年は7万俵の山田錦を使った。洗米だけで数十人。現在小さなタンクが400基。今年の醪発酵の仕込み本数は2000本の計画。年間に2000回仕込みをすることになる。通常の杜氏が一生に経験する数倍の仕込みを経験することになり、数は力じゃないが、経験の圧倒的な量は強みだと思う」「当社製造部長は40歳。社員の平均年齢は31歳」。

 「すごい山の中。条件が悪いことがプラスに働いた」。社長就任当時を振り返った。「日本酒業界は40年間で売上げが3分の1になった。昭和48年オイルショックの年に日本酒の出荷量は980万石。それが昨年度は307万石。旭酒造もその48年に史上最大の2000石だったのが、私が後を継いだ昭和59年には700石になっていた。10年間で3分の1ですね」。それから30年「一昨年9月期決算で売上高40億円までいった。30年間で数量で16倍、金額で40倍の成長。今年9月期決算は税抜65億ぐらいだから、約70倍弱ぐらいまで来た」。

 59年当時、同社は「岩国管内で4番目。地域マーケットの負け組だった」。チャンスは「業界が縮み秩序が崩れていくことで出てきた」。「東京市場は大きいが競争が激しい。でも私たちには帰るところがなかった。あきらめずに東京にしがみつくしかなかった。いい酒でなければ勝負出来ない。山田錦がほしかったがJA経済連からは供給してもらえなかった」。山田錦の種もみを入手し数年、栽培をと願ったがそれも叶わなかった。そこで全国の山田錦の産地を訪ねた。一昨年の山田錦購入量は4万3千俵で、全国38万俵の1割強にあたる。「購入ルートは自分の足で歩いていたから出来ていた」。

 社長30年間のうち、前半15年は「杜氏と私で酒造り」。後半15年+1年は「社員と私での酒造り」。杜氏は吟醸酒を造ったことがなかった。自分でやるしかなかった。「静岡に小さいがキラッと光る、宝石のような酒を造る酒蔵が何社かあった。県工技の先生が静岡の吟醸酒造りについて寄稿したものがあった。いわばマニュアル集。おやっつぁん(杜氏)この通りにやろうということで造ってみたが、吟醸酒としては65点。レベルは低いが自分が採り入れた技術でいい酒が出来た。35、6歳当時『酒はテクノロジーで造れる』と青臭いことを言っていた」。

 それで業績も、年商9700万円から2億円ぐらいにまで上がってきた。そこで事業を次代へ継ぐ気持ちが湧いてきた。「後継させることが出来るとして、永続させることが出来るのか。杜氏は65歳。新しい杜氏の成り手もいない。製造スタッフも確保していけるのか。杜氏に任さず、若い造り手を自分たちで育成するしかない」。

 問題があった。年間雇用の社員でやるとなると夏場の人件費が出てこない。それまでは杜氏は夏には帰るから経営者とウイン・ウインの関係だった。そこへ1990年代、地ビールが出てきた。「夏に地ビール、冬に日本酒を造ろうと考えた」。

 地ビールのブランドは「オッターフェスト」。オッターは獺(かわうそ)、フェストは祭の意。1999年には岩国・錦帯橋のそばに地ビールレストランも開館したが、3カ月で閉じた。コンサルタント任せが良くなかった。使途不明金で清酒の収益が食われていく。注ぎ込んだ金は2億4千万円。訴訟で5千万戻ったものの、1億9千万円の借金が残った。年商とほぼ同額…。

 窮地に立たされているところへ、杜氏がFA宣言。その年の秋から蔵人全員を連れて広島の蔵へ行くことになった。「技術のアウトラインは分かっている。自分でやろうと決め、自分を含め5人で造り始めた。生きるか死ぬかの精神状態だった。だから本当に造りたい酒を造ろうと思った。純米大吟醸酒一本で行こう」と。

 販売でも発想を変えた。「売ってくれない取引先に一所懸命売る努力をしたが売れなかった。頑張れば前年比101%とか少し伸びることもあったが、破滅の淵が近づいていると感じていた」。新たな取引先開拓では宅配の普及、コピー・ワープロの低価格化が追い風になった。輸送ロットをまとめる必要がなく「稚拙でも印刷会社・広告代理店を使わず情報発信が出来るようになった」。

 経済環境も変化した。かつては大工の日当が500円、2級酒1本500円という、酒が宝の時代だったが、昭和59年ごろには日当で2級酒が20本も買えるようになった。「ほろ酔いでも満足していける方向に変わった」。

 「酒蔵の稼働率がアップする雇用形態」を模索する中で四季醸造体制を確立した。年間365日の酒造り。日本の空調技術で常に冬場の状況をつくることが出来る。何よりも「常に最良の熟成状態のお酒を出すことが出来る」。高精白で知られるが、それは「磨きを補う技術より、技術を補うコメの磨き」を優先したから。「100m競走に勝つために、20m先からスタートする」。現代の酒蔵の製造形態は、機械化も行くところまで行って、高度な発酵学に根ざした技術がないと難しい。ハイテクの巨大機械化ではなく「昔と同じでタンクが小さいまま、ローテクの集合体なら何とかコントロール出来る」。「伝統の手法は弱点に通じる」とも。「日本酒は日本の文化・歴史により洗練された素晴らしい酒。であるがゆえに、細部の手法と、その練磨にのみこだわる日本的弱点を持つ。旭酒造にとって手法は結果のためでしかない」。

 販売でも吹っ切れた。「既存の市場にこだわらない。売れる酒屋にだけ販売する、メーカー主導の生販同盟。そしてマーケットの中心を攻める、東京へ世界へ。世界の中で、日本の文化的ポジションを創る教育と共に酒を売っていく。フランスでもアメリカでも高額所得者、日本と親和性の高いマーケットだけを狙う。日本のお客様と対峙するのと、同じ対峙をする」。

 「新酒蔵は全能力を発揮するなら年間5万石になる。純米大吟醸だと山田錦20万俵が必要になる」。そこで「山田錦全国生産量60万俵を目指している」。山田錦を増やすためには何でもやる」。村米契約を増やし、新潟にも山田錦栽培会がある。富士通と組んで山田錦栽培の技術支援にも取り組む。「山田錦は飯米の倍値。(これまでの恩を)日本の農業支援でお返ししていける。美味しいお酒で社会に幸せをお届けできる。社会のためになることが、生き残りになる」。

 次のチャレンジを問われ「夢はちょっとでもいい酒を造りお届けすること。売上げ目標とか考えていない。企業は誰のためにあるのか。酒蔵はお客様のためにある。それで御買い上げいただければ社員の所得も上がる。売上げが上がるから経営者も喜ぶ。3者が喜ぶ。昨日も今日も明日もちょっとでもいい酒をお客様にお届けすることだけ」と答えた。

 「コウシャ」認定については「ユダヤの教え通りに出来上がっている食品に対し認定されるもの。ユダヤは世界的に影響力のある民族で、アメリカ市場、世界市場で無視できない。コウシャを取るために造り方を変えた所は全くない。難しいことはなく、まともに造った食品を、まともに内容をオープンにすれば取れる」と話した。「認定は必ずしもプラスの話だけではない。例えばヨーロッパではネオナチの問題があり、フランスでこんな話があった。ネオナチの人達がレストランに来て、獺祭を見てこんなコウシャ認定の酒を扱っている店には2度と来ない、と言った。レストランの経営者が、コウシャの認定の付いていないものと両方出してほしいというから、ええ加減にせえ、そんなレストランには売らん、となった。そういうリスクもある。プラスの裏にマイナスがある」。

 ISOやハセップは取得していない。考えを示した。「会社が急成長し、急膨張している。今現在酒造りの男性スタッフが90数名。(従業員数は)パートさんを含めれば174名になる。急膨張でいろいろな意味でリスクが高まっている。設備や制度は大事だがそれだけじゃない。雪印さんはISOを取っているが、それで安全ではなかった。係わる人間が一番大事だと若い人には話している」。