佐藤酒造に「佐藤」販売めぐる訴訟で賠償命令

2007年01月18日

  【鹿児島】芋焼酎のプレミアブランド「佐藤」(製造元・佐藤酒造=霧島市牧園町宿窪田2063、佐藤誠代表取締役)の販売をめぐり、酒販店4店が約1億9000万円の損害賠償を求め、佐藤酒造と争っていた訴訟の判決が1月16日、鹿児島市の鹿児島地裁民事第2部(小田幸生裁判官)205号法廷であり、同社に対し、原告4人へ総額1482万円の賠償金支払いが命じられた。
 同訴は、「佐藤」をPB(プライベートブランド)として世に出した鹿児島市内の酒販店組織「一九会」(粟國朝夫代表=鹿児島市「アワクニ酒店」)の4店が、佐藤酒造が両者で合意した取り決めを破り、損害を与えたとして平成14年12月に提訴。判決はPBであることを認めながら、原告の主張の大半を退ける結果となった。
 「佐藤」は、「一九会」のメンバーが味決めにも立会い、ラベルデザインも決めるなど商品開発の全般を担い、平成5年に白麹仕込み、8年に黒麹仕込みの商品を発売。裏ラベルには「この焼酎は(中略)一九会の協力を得て佐藤酒造より生み出された自信作です」とあり、「発売元・一九会(もしくは一九会加盟店)、製造元・佐藤酒造」と明記。「『佐藤』は一九会が企画販売した焼酎」(平成9年実施「『佐藤』に関する県外発送規約」)で、8年の佐藤酒造ホームページでも「一九会にての限定販売」と商品紹介しているほか、県酒造組合連合会作成の「全銘柄表」(12年5月調べ)でも「佐藤」はPBと表記されている。
 酒販店の取扱いは一九会加盟店となることが条件だった。一九会への納価に一定額を上乗せし、県内外加盟店への納価を定め、その差額をプールし一九会へ還元することが約束されていた。プール金は、同会功労への対価、また独占販売しないことで失う利益補てんの意味あいがあった。その一部は、謝礼金や販売促進費名目で支払われたが、12年7月の両者会議で、同社が以降のプール金支払いをしないと通告。 8月には佐藤酒造が「佐藤」に使用されていた商標を登録出願(13年6月登録)。10月以降、同社価格改定に基づき、一九会4店へも他店と同額で納入するに至る。一九会は11月、県内の別の焼酎メーカーとの開発PB商品を、加盟店へ案内した。
 14年6月には、一九会が佐藤酒造に対し、一九会加盟店以外に「佐藤」を販売しないよう求めたが、同社は7月、先の商品案内を敵対行為だとして、出荷に応じかねるとして取引停止を通知。12月、今提訴となる。
 両者の関係が変遷していく背景には、爆発的な焼酎ブームがあった。「佐藤」発売の平成5年当時、その焼酎を求める消費者はいなかった。販売不振にも配意し、一九会は一定量の買い取りを約束し、販売にあたった。佐藤姓の消費者にダイレクトメールで商品案内をするなど販促も行った。
 ここ数年、グルメ雑誌などメディアがこぞって、焼酎を取り上げ、「佐藤」も脚光を浴びた。「佐藤」の引き合いは、都心部の専門酒販店からも強まり、同社は独断で直取引を拡大。一九会に頼らない、独自構築の販売網と主張するが、原告側は「『佐藤』というPBがあったからこそ開発しえた、一九会の販売網に他ならない」と反発している。
 原告は、「12年に一九会と決別したのなら、一九会のPB商品である『佐藤』の販売を中止するのが当然」だと主張。判決も、「一九会の承諾を得ることなく『佐藤』を売ってはならないという債務を負担したこと自体については、疑問の余地がないものと判断される」「一九会のPB商品である『佐藤』を、通常の自社商品として売ることを決めた以上、きちんとした形で原告らの了承(=承諾)を求めるべきだった」と指摘した。また商標権が被告に帰属しても、判決を左右するものではない旨も明記。判決は全般、PBだったことを認めたうえで、賠償額は、12年決裂までのプール金残高と、適正だろう(自社商品化へ転換の)“承諾料”の合計で算定した。
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 今回の判決に対し、被告の佐藤酒造は「ノーコメント」。原告代表の粟國氏は、「蔵元は何をやってもいい、そんな横暴を認める判決だと解釈している。いまの佐藤酒造にとって1400万円は痛くもかゆくもない。いま蔵元を支持している酒販店は、われわれのように何もないところから、『佐藤』を育ててきた店ではない。納入のためにどれだけ、蔵元のご機嫌をとり、媚びを売っているのか。蔵元は売れるようになって、われわれを足蹴にして、東京などの酒屋に鞍替えしたに過ぎない。これが法律か。控訴を含め、弁護士と相談したい」と語る。
 今回の判決は端的に、売れてくればPBを、蔵元が自由に自社商品化することを認めしまうものだ。地酒販売のいびつな暗部に、一切メスを入れず、蔵元の独善を許すものでしかない。単純に金銭換算はできない、酒販店の汗を一切、正当に評価していない。


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